現代科学をどうとらえるか

概要

科学者にとっての科学
  • 専門化の進行と科学研究の巨大化,少し専門が違うとお互いにわからなくなる.
  • 研究条件獲得〜研究成果を理解させる〜論文生産〜業績作りのための結果の出るテーマ.
  • 学術雑誌は情報交換の手段ではなく業績作りの場所,情報交換は学会のロビーと同業者同士の手紙.
  • 幼稚なレポートしか書けない理科系の学生.一般教育の重要性を認めた上で,なおかつそれを犠牲にしなければならないほど教えることが増えている現状.「科学の学習は速記術プラス記憶術(F・ジュボンズ教授)」.
  • 既成の科学に対する壁.新分野開拓の困難さ.既成の科学にしか研究費は出ない.科学離れ.
非科学者にとっての科学
  • 既成の理論を壊し,新しい理論形成の能力を持つこと.
  • もっと自国語による表現能力を持つこと
  • 民衆に対する害点を発見すべきこと.
  • 科学者以外の人々とコネをつけてほしいこと.
  • 新しい問いの建て方をすることによってこれまで見えなかったものが見えてくる.科学に決まった一定の方法があるわけではなく,むしろ様々な方法を許容する点に科学の強みがある.
われわれににとっての科学
  • 子供の科学への関心.
  • 小・中学校理科の教科書はそれぞれに分野がまとまっているわけでもなく,全体として体系や論理があるのでもない.諸科学で別々に扱われているものが,自然や技術の中では密接に連関していることを,小学校段階で理解させるべきと筆者は考えている.
  • 理科や科学のおもしろさの一つは,一見結びつきようもない現象が同じことの表現で当たり,意外なところに同一の側面があることを発見するところにあると思うのであるが,そういう面白さは全くない.
  • 実験の手引きとしての教科書.近代科学の方法的基礎を築いたデカルトの主張は,まずしっかりした原理を打ち立てることであったし,科学の初めとなったギリシャ自然哲学の仕事は,まず原理(アルケー)を見出すことであった.原理を捉えて演繹するという態度の訓練がない.
歴史における科学
日本にとっての科学
  • 日本の科学の大きな特徴は,それが日本語で営まれていることである.翻訳して考える仕方が一般化.
  • 模倣の上手さは日本人に限った話でない(ギリシャイスラム科学).
  • 外来の思想を大きな抵抗なく受容する性質,古いものが徹底的に批判されることなく取り入れられ,新しい者が積み重ねられていくスタイル.「重層性」「雑居性」「日本的受容」.先進性の尊重,協調性(孤立化のおそれ).「千万人といえどもわれいかん(孟子)」の精神は稀.
  • 江戸以来の態度(異質的な者を受容する仕方).(1)歴史をさかのぼって根元で結びつける.(2)異質的なものを歴史的・理論的に並べ,体系づける.(3)異質なものに,それぞれ所をえさせようとする態度.
  • 一つの完成した思想から都合の良いところだけ切り取ってくること.思想の形骸化.あらゆるものは,手段となることによって自己の本質を失う.
  • 技術と結びついていた科学の導入.19世紀後半には科学そのものが手段(文科した科)として登場してきていた.
  • 日本語で科学研究ができるようになった最大の理由は,冬至の科学が翻訳によって研究可能なところまで思想的意味を捨象していた.
  • 科学者にとっては,研究が目的であり,科学そのものが目的.しかし思想と一体になった状態に戻ることを著者は拒否し,不可能と考える.科学は何の手段であるべきかを問い返すこと.
  • 独自のアプローチの仕方,独自の科学のあり方を発見し,つくり出すこと.
科学の将来
  • 機械論の克服なしに科学の将来はない,反機械論は妖術や生気論をもたらしやすいことを記憶せよ.
  • 科学者は自己自身を対象化し,科学と対象との関係をも対象化すること.
  • 社会の中での,および自然の中での科学の役割を考察の対象にすること.
  • 研究外的な仕事を処理できる人とシステムを確保すること.雑用を抱えることは損失.

考察

日本の現代科学は相変わらず同じ問題を抱えているということなのだろうか,自己の経験や他人の指摘を思い出す箇所がいくつかあった.
科学者でいようとする限りには踏襲的なこと・作業的なことはあくまで手段であることを肝に銘じたい.
ゆとり教育はこれまでの教育方法の反省に基づくものであった.考える力というキーワードを何度聞いたかわからない.しかし詰め込み・記憶型の教育を行ってきた教育者は果たしてゆとり教育の時間を利用して何ができる(た)のだろう.
著者の立場ならば,概念きちんと捉えさせることが必要なのだろうが.