人生という名のOS

ひとつの例えを考えてみる。
人は人生という名のOSをひとつ持っている。提供者は親。開発者はひとり。利用者もひとり。開発者は開発の進んだ、あるいは進んでいない、他のOSを参考にしながらマイナーアップグレードを進める。開発の進行度は、開発者の技量と努力に依存する。
バグは数えればいくらでも見つかる。既知のバグ、見つからないバグ、自分では見つからないバグ… どれからフィクスするかは、もちろん自分次第。そんないくつものバグに追われているうちに、まずどれを修復すればわからなくなってしまった人がいる。ある一部分の修復のみにおわれて他に手のつかなくなった人がいる。その間もなお保守に莫大な金と労力がかかっている。
どうせ利用者はひとりなんだから、開発を止めてしまえばどんなに楽になるのだろう。こんなひどいOSなんてこの先誰にも継ぎたくない。